2025年5月11日日曜日
2025年5月自助会
2024年11月3日日曜日
2024年11月自助会
まだ会そのものは始まっていませんがどんな自助会になるか、雰囲気をお伝えする為に過去の私の投稿を転記します。(一部変更しています)
2024年10月19日土曜日
2024年10月自助会
10月5日自助会を開催しました。
14名の方に集まって頂きました。
日中の眠気について、薬の効き目について、ストレスや怒りとの向き合い方、分かっていても「べき思考」をやめられない難しさなどの話がありました。
この病気になって失うものや人、ことは沢山あると思います。
辛いことです、後悔の念に苛まれること絶望することもあると思います。
取り戻したい元に戻りたいと努力している方もいると思います。
一方、病気になってそれまで当たり前過ぎて気が付いていなかった、選択肢の一つにもしてこなかったことやものがあるのだと気が付くこともあります。
何を選ぶのか選ばないのか、もう選べなくなった選択肢もあるかも知れません。
どれを選ぶのが正解なのかを判断すること自体も難しいし、選んだとしてもそれを実現させることは簡単ではないことも多いでしょう。
何が正解なのか、本当のところはそうなってみないと分からないのですから、難しいのは当たり前といえば当たり前です。
ですが選ぶことについて、わたしからいえることがひとつだけあります。
死ぬ前に後悔しない人生の選択をする。
他人から見てではなく自分に対して、噓偽りなく良い人生だったと言えることをしてきたのか自分に問う時がきます。その時になって違っていたと気が付く、やり直す時間はないと分かる、これほど虚しいことはありません。
逆に良い人生だったと思えるなら、他からどう見えていたとしても幸せなことです。
そして、そういう基準で人生の選択を始めた人は、すでに幸せを手にしているのだと思います。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。
2024年8月自助会
8月3日自助会を開催しました。
5名の方に集まって頂きました。
家族だからこその距離感、有り難さ、不安や悲しみがあること、理解を得られない辛さについて話をしました。
病気は良くなるのか、いつまで待てばいいのかどうすればいいのか分からないという話もありました。
自助会の帰りの電車の中や帰宅してからよく思い出す言葉があります。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
良寛が大震災で被災し子供を亡くした友人に送った手紙の中の言葉です。
ここだけ切り取ると心無い言葉に聞こえかねませんが、真意は友人をおもっての言葉です。
勿論、良寛とわたしを比較するつもりはありませんが、あの時あんなことを言ってよかったのかこの言葉を思い出し、自問します。
そしていつも、本当に苦しむということ、苦悩するとはどういうことかを知らない、それなのに今本当に苦しんでいる人に向かって知った風な口をきいている自分を省みて穴があったら入りたい、そんな気持ちになります。
それでも懲りずに翌月また同じように話をしてしまいます。
自分は今うつで苦しんでいる人に何かを言い得るような人には一生かけてもなれないと思います。
でも言い得なくても伝えられなくても、言い得ようとする、伝えようとする努力を止めるつもりはありません。
参加者の皆さんが抱える問題を解決することはできませんが、同じ場所と同じ時間をともにして苦しんで考えたいと思っています。
よくなる直接のきっかけをくれた、自決によってわたしに生きよと伝えてくださった方に少しでも報いたいと考えているからです。
考えることに手遅れはありません。一緒に考えましょう。
2024年9月自助会
まだ会そのものは始まっていませんがどんな自助会になるか、雰囲気をお伝えする為に過去の私の投稿を転記します。(一部変更しています)
9月7日自助会を開催しました。
10名の方に集まって頂きました。
主治医に話す時間をとってもらえない、休んでいる間外出するのがこわい、休むように言われたけれど何をどうしたら休むことになるのか分からない、この病気はいつ治るのか本当に治るのか分からないので不安になるなどの話をしました。
うつ病、双極性障害になると仕事に支障が出たり休職することもあります、日常生活でも当たり前にしていたことができなくなります。
それをきっかけに大事なものを失う苦悩、失うかも知れない不安に苦しんでいる方は多いと思います。
失ったものを取り戻したい、これ以上失いたくない焦りの気持ちもあるでしょう。
ですが、離れていくもの失うものは相手の都合や気持ちで離れていきます、相手の気持ちや行動は相手のことですから、自分がいくら力んで掴みかかってみても自分が辛くなるだけで相手を変えることはできません。
「放てば手に満てり」という言葉があります。
大切なものや欲しいもの、それを掴んで自分のものにしようとすれば拳を握りしめておくしかありません。そして拳を緩めるとそれを失うかも知れない不安に駆られ、気が休まらなくなります。
でもその不安を乗り越えて、力を抜いて拳を広げれば、手のひらは必要十分なもので満たされるのです。
そこには失うこと満たされないことへの不安や恐怖はありません。
なぜなら手のひらにあるもの、それがすべてだからです。
とは言っても、病気で弱っている中そんなことできない、すべてを失って終わりになるという不安や恐怖を感じると思います。
子供のころから欲しいものは自分で掴め、拳は握り締めろと言われてきたし、周囲の人は緩めたら終わりだと固く信じて拳を握りしめている人がほとんどです。
ですが、うつ病、双極性障害になって初めて分かったこと逆に分からなくなったこと、当たり前ではなくなったことなどとても辛い経験をしている今だからこそ拳を緩めて手を広げる、そのきっかけになり得るとわたしは思います。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。