2026年1月11日日曜日

ブログの移行について

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ブログの内容は2026年開催分より大阪うつ自助会の「過去の会の様子」ページに移行しました。

下記リンクよりご覧いただけます。

大阪うつ自助会 過去の会の様子

2025年11月30日日曜日

2025年11月29日開催

 11月29日、第12回大阪うつ自助会を開催しました。
17名の方に集まって頂きました。

主治医のアドバイスや治療方針に違和感を覚える、お風呂に入る気力がない、再発再燃の不安、何もすることがない時間の過ごし方等の話がありました。

病気になると治るだろうかという不安に始まり、治らないと大事なものを失うのではないか不安になり、失ってしまったらどうすればいいのか分からなくて不安になる。
相談してもみんな同じなのだからもっと頑張れ、など言われるだけで理解されない。
このままどうにもならなくなるのでは、もうどうにもならなくなっている、どうにもならないこの先はどうなるのだろう、どうすればいいのだろうと不安になる。

当たらずといえども遠からずという方も多いのではないでしょうか。
不安な気持ちを抱えて過ごすのは辛いものです。
でも、失ったらどうなるのか本当のところは失ってみないと分かりません。
分からないから不安なんだと思う方もいるでしょうが、分からないなら考えて知ろうとする方が先ではないでしょうか。

なぜ自分にとってそれが大事だと思っているのか、それは自分でないとダメなのか、自分はそれがないとダメなのか、それが大事とはどういうことなのか、そもそも自分がと言っている自分は誰なのか、なぜここにいて自分は自分だと思っているのか、こことはどこなのか等々、深く深く考え抜いてみてください。

ただし、答えを知ることが大事なのではありません。
自分事として考えて、考えても考えても本当のことを知ることはできないと知り、自分は何も知らないのだと知り、そしてそれでいいのだと知ることが大事です。

とはいえ、考えるのにも気力と体力は必要です、しんどい時はゆっくり休んでから考えてみてください。

分からなくても不安になる必要はありません。
分かる時が来れば分かります、逆にいえば分かる時が来ないと分かりません。
分かる時が来たら、不安な心はどこにもないと知ることができると思います。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

※このブログページの更新はこれで最後とします。
次回以降の会の様子の更新(20261月予定)は大阪うつ自助会のホームページで行います。

大阪うつ自助会過去の会の様子

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よろしくお願いします。

2025年11月2日日曜日

2025年11月1日自助会

 11月1日、第11回大阪うつ自助会を開催しました。

17名の方に集まって頂きました。

パワハラ体質の職場での体験談、今の自分にはハードルが高すぎる専門家のアドバイスどう受け止めればいいのか分からない、転院したいが手続きが大変で躊躇してしまう等の話がありました。

ハラスメントをきっかけに心の病に罹ってこの会に来られる方は多いです。
被害に遭った側はやむを得ず休職や退職に追い込まれるのに、加害者側は何もないかあっても謝罪程度で終わるのは納得がいかないという話が出ることもあります。

ハラスメントをした人は悪いことをした人です。
ハラスメントをされた人は悪いことをした人ではありません。
悪いことをした人と悪いことをしていない人ではどっちが悪いと思いますか、あるいはどっちの方がいいと思いますか。

悪だと知って悪をなす人はおらず、人は自分にとっていいと思うことしかできません。つまりハラスメントをする人は自分にとっていいと思っているからそれをします。
ですが、いくら自分はいいと思ったところで悪は悪に過ぎず善にはなりません。
ハラスメントをする人は知らずに悪いことをしてそれに気が付けない残念な人です。

なぜいい大人が悪いことを悪いと知らないのか不思議に思う人もいると思います。
他人に善悪の判断を任せて自分で考えていないからではないでしょうか。
考えている人は自分が悪いのかも知れないと省みることができますが、考えていない人は何も考えず自分が悪いはずがないと思い込んでいるからだと思います。

悪いことをする人は悪い人であって、よい人ではありません。あたりまえです。
そして言葉の定義により悪い人が送る人生のことを悪い人生といい、よい人が送る人生のことを良い人生といいます。やっぱりあたりまえです。
何を基準にどっちを選ぶかは本人次第ですが、最期になって間違いだったと気が付いても手遅れです、気を付けてください。

運悪くそういう人に当たった場合、距離を取るか逃げるかしかないのかなと思います。
どうせ巻き込まれるなら悪い人より、よい人に巻き込まれた方がいいと思います。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

2025年10月5日日曜日

2025年10月4日自助会

 10月4日、第10回大阪うつ自助会を開催しました。

16名の方に集まって頂きました。

休養中の平日に出かけることに抵抗がある、周りの目が気になる、復職に向けて頑張っているのに朝起きられないことへの不安感、心の傷と時薬などの話がありました。

話題自体は重たい話、悲痛と言わざる得ない話もまあまあ多いのですが、なぜか重苦しい雰囲気で終わらないのは不思議だなぁといつも思います。

今回だけに限りませんが、参加者の中に自己肯定感が高い方は多分いないと思います。
話を聞く中で自己肯定感が低くなる原因は、他の人が普通にできていることができないし、やるべきこともしていない。そんな自分を周りの人はダメな人だと思っている、だから自分は自分を肯定できない。そう感じている方は多いと思います。

他人(自分以外の人という意味、以下同じ)は他人の場所からあなたを見ています。
ですが自己肯定というのは自分が自分自身を見て肯定することをいいます。
あなたを他人の場所から見た評価は他人の評価に過ぎず、自己肯定とは無関係です。
あなたの場所からあなたを見てどう思うかが自己肯定です。

ここでもう一歩踏み込んで考えてみてください。
他人は他人の場所からあなたを見ていますが、自分は何処にいて自分を見ているのでしょうか。
例えば目玉が目玉自身を見ることはできるでしょうか。鏡に映して見てもそれは鏡に映った目玉に過ぎません。仮に180度目玉が回転できたとしても見えるのは脳みそであって目玉自身ではありません。
自己肯定する自分と自己肯定される自分は別の場所にいないと自己肯定するために見ることはできないということです。
であれば、自分は何処にいて、何処にいる誰を自己肯定するのでしょうか。
あるいは、誰が何処にいて、何処にいる自分を自己肯定するのでしょうか。

何処って何処でしょうか、他人ではない誰って誰でしょうか、誰が自分は自分だと思っていて、誰の何を自己だと思っているのでしょうか。

結局、自己肯定とは何を言っていることになるのでしょうか。「何が何処から」、「何処の何を」が分かっていない自己肯定に何か意味があるのでしょうか。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

2025年9月7日日曜日

2025年9月6日自助会

 9月6日、自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。

なにもやる気が起こらない、できないことに不安や焦りがあるどうしていいかわからない、休職していると人と関わること話す機会がなさ過ぎて大丈夫なのか不安になる、職場の人間関係だと気を遣うだけで楽しくないので人とのかかわりは必要最小限にしているなどの話がありました。

初参加の方から時々、もっとしんみりした暗い感じの静かな会だと思っていたけど以外に皆さん明るい雰囲気で楽しく話ができたという感想を聞きます。
もちろん静かな沈黙の時間が流れることもありますし、悲しい話になってしんみりとすることもあります。

なぜ明るい雰囲気なのかといえば、この会のなかでは何を言っても否定されない、共感してもらえる共感できる安心感があるからではないかと思っています。
そして、よくなりたいから頑張る、努力する人が集まっているからだと思います。

ただ、いつどんな結果が出るか出ないかは人それぞれです。
頑張れば努力すれば必ず良い結果が出るとは限らないですが、頑張ること、なにかしらの努力をすることはできるはずです。

「禍福は糾える縄の如し」といいます。頑張ること努力することが裏目に出て禍になったと感じることもあるかも知れません。でもそれは次に訪れる福にとって必要なものです。そして自分の期待通りになることだけが良い結果とは限りません、思いもよらない結果が意外に福になることもあります。

また、結果が出ないのにあきらめることなく続けるのは辛く苦しいことですが、結果が出ないから苦しいと考えるのではなく、努力できていることがいいことで、嬉しいと考えてみてはどうでしょうか。
前にも言いましたが努力は苦しいから努力といいます。苦しくない努力はありません。
でも、「嬉苦しい努力」これなら続けてみようかなって思いませんか。
そうすれば努力の末にどんな結果が待ち受けていても、それなりに受け入れられるようになります。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

2025年8月3日日曜日

2025年8月自助会

 8月2日、自助会を開催しました。
15名の方に集まって頂きました。

周囲から男のくせにという目で見られる辛さ、精神疾患、精神障碍への偏見や無理解から周囲に受け入れられない辛さ、職場のコミュニケーションの難しさやそれへの対応方法などのはなしがありました。

精神疾患や障害の辛さとは何でしょうか。
内容は千差万別でその人の立場や置かれている環境その他で違いますしその受けとめ方も人それぞれです。しかし、共通点もあります。
それは、自分の人生の内容であるということです。
自分は自分以外の自分にはなれないし、自分の人生を他人に生きてもらうことはできません。自分の人生の内容が自分の人生であり、他人の人生の内容は他人の人生です。

では自分とは何でしょうか、人生とは何でしょうか。
自分とはどんな自分とか、自分の人生はこういう人生といった内容の話ではなく、自分とはいったい何なのか、自分が生まれて生きていて、いずれ死ぬこの自分の人生とは何なのか、そもそも自分や人生があるとはどういうことなのか。

自分は幸せ、生きているって素晴らしいと思っている人はまず考えないことです。
なぜなら、自分が自分であること、自分の人生があることはあたりまえであり、あたりまえなんだからそれ以上考えるのは無駄、何の得にもならないと思うからです。

なぜここでこんな話をしたのかといえば、辛さの正体、辛さの本質に気が付くことができるようになるからです。
自分とは何か、人生とは何か考え抜いていってもストレスがなくなる、嫌なことが嫌でなくなるわけではありません。
ですが、そんなことはどうでも良いことで、自分にとって自分の人生にとっては大した問題ではないと分かるようになるからです。

もっと大事なことがある、すること、知ること、考えることがある、それさえ分かれば今ここで死んでも何の悔いもない、そういうものがあると分かります。
答えはネットや本の中にはありません、あなたの中にあります。

考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。

2025年7月6日日曜日

2025年7月自助会

 7月5日、自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。


今回は初の試みとして、4,5人/グループに分けて後半のフリートークを行いました。全体的に言えば少人数のグループに分けて良かったと思いますが、実施して見えてきた課題もありました。わたしにはまだ見えていないこともあると思います。
開催毎に進め方を微妙に変えていくことになると思うので、戸惑う方もいると思いますが、参加者にとってよりよい自助会を目指してのことですのでご了承ください。


閑話休題、今回はこの会に参加するようになってからの自分の中で起こっている変化についての話、うつになる前となった後で何を諦めたか諦めなかったか、諦めることで何を得たのかなどのはなしがありました。


話の中でたまに身勝手、保身的、無責任、高圧的な人がいて困るという話が出ます。
周りも手を焼くものの結果的には自分を押し通して平然としていている姿を見て、あれがいいとは思わないけれど、あのメンタルの強さはうらやましいという話になることもあります。


本当は態度と裏腹に不安でいっぱいなのを隠しているだけかもしれませんし、いずれしっぺ返しを食う場合もあるでしょう。
憎まれっ子世に憚るで最後までそのまま押しきれてしまう人もいるでしょう。


ですが、この問題の本質はそこにはないと思います。想像してみてください。
自分を押し通して押し切る生き方で乗り切れたとして、最期に人生を振り返って自分の人生はいい人生だったと思えるでしょうか。
思えるだけでなく、それは本当にいい人生なのでしょうか。
いい人生とは何でしょうか。


最期までそれに気が付けない人、哀れだなと思います。
最期に気が付いて後悔する人、みじめだなと思います。

わたしは二度と、最期にあんな後悔したくはありません。
みなさんにも絶対、最期に後悔して欲しくはありません。


考えることに手遅れはありません。

一緒に考えましょう。