10月4日、第10回大阪うつ自助会を開催しました。
16名の方に集まって頂きました。
休養中の平日に出かけることに抵抗がある、周りの目が気になる、復職に向けて頑張っているのに朝起きられないことへの不安感、心の傷と時薬などの話がありました。
話題自体は重たい話、悲痛と言わざる得ない話もまあまあ多いのですが、なぜか重苦しい雰囲気で終わらないのは不思議だなぁといつも思います。
今回だけに限りませんが、参加者の中に自己肯定感が高い方は多分いないと思います。
話を聞く中で自己肯定感が低くなる原因は、他の人が普通にできていることができないし、やるべきこともしていない。そんな自分を周りの人はダメな人だと思っている、だから自分は自分を肯定できない。そう感じている方は多いと思います。
他人(自分以外の人という意味、以下同じ)は他人の場所からあなたを見ています。
ですが自己肯定というのは自分が自分自身を見て肯定することをいいます。
あなたを他人の場所から見た評価は他人の評価に過ぎず、自己肯定とは無関係です。
あなたの場所からあなたを見てどう思うかが自己肯定です。
ここでもう一歩踏み込んで考えてみてください。
他人は他人の場所からあなたを見ていますが、自分は何処にいて自分を見ているのでしょうか。
例えば目玉が目玉自身を見ることはできるでしょうか。鏡に映して見てもそれは鏡に映った目玉に過ぎません。仮に180度目玉が回転できたとしても見えるのは脳みそであって目玉自身ではありません。
自己肯定する自分と自己肯定される自分は別の場所にいないと自己肯定するために見ることはできないということです。
であれば、自分は何処にいて、何処にいる誰を自己肯定するのでしょうか。
あるいは、誰が何処にいて、何処にいる自分を自己肯定するのでしょうか。
何処って何処でしょうか、他人ではない誰って誰でしょうか、誰が自分は自分だと思っていて、誰の何を自己だと思っているのでしょうか。
結局、自己肯定とは何を言っていることになるのでしょうか。「何が何処から」、「何処の何を」が分かっていない自己肯定に何か意味があるのでしょうか。
考えることに手遅れはありません。
一緒に考えましょう。